すり鉢を伏せたような形の山の急峻な斜面に圧倒的な迫力で見る者に迫る石垣。それは万里の長城を思わせる壮大なスケール。岡山県吉備高原の最南端、標高400mの鬼城山の山頂付近に約30万平方メートルに及ぶ広大な城跡、が鬼ノ城である。
約1300年前、7世紀後半白村江敗戦後、唐軍の脅威に対して大和朝廷により国土防衛のために築かれた古代山城とする説が有力である。日本書紀には九州〜瀬戸内海〜畿内の生駒山系に至る西日本の要所にこうした朝鮮式山城を築城したことが記載されている。鬼ノ城は日本書紀には記載がないが、朝鮮式山城と同種遺跡と考えられている神籠石式山城が16城あり、その一つと考えられている。一方、後世の文献である鬼ノ城縁起などには、『異国の鬼神が吉備国にやって来た、彼は百済の王子で名を温羅(ウラ)という。彼はやがて備中国の新山に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を略奪したので人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼び、都へ行ってその暴状を訴えた・・・・・・』とあり、これが温羅伝説と言われているもので、桃太郎伝説の基となった。


鬼ノ城の遠望

場内には6ヶ所の水門が設けられている